第二の手记

第二の手记

海の、波打际、といってもいいくらいに海にちかい岸辺に、真黒い树肌の山桜の、かなり大きいのが二十本以上も立ちならび、新学年がはじまると、山桜は、褐色のねばっこいような嫩叶《わかば》と共に、青い海を背景にして、その绚烂《けんらん》たる花をひらき、やがて、花吹雪の时には、花びらがおびただしく海に散り込み、海面を镂《ちりば》めて漂い、波に乗せられ再び波打际に打ちかえされる、その桜の砂浜が、そのまま校庭として使用せられている东北の或る中学校に、自分は受験勉强もろくにしなかったのに、どうやら无事に入学できました。そうして、その中学の制帽の徽章《きしょう》にも、制服のボタンにも、桜の花が図案化せられて咲いていました。

上海龙凤shlf最新地址その中学校のすぐ近くに、自分の家と远い亲戚に当る者の家がありましたので、その理由もあって、父がその海と桜の中学校を自分に选んでくれたのでした。自分は、その家にあずけられ、何せ学校のすぐ近くなので、朝礼の钟の鸣るのを闻いてから、走って登校するというような、かなり怠惰な中学生でしたが、それでも、れいのお道化に依って、日一日とクラスの人気を得ていました。

生れてはじめて、谓わば他郷へ出たわけなのですが、自分には、その他郷のほうが、自分の生れ故郷よりも、ずっと気楽な场所のように思われました。それは、自分のお道化もその顷にはいよいよぴったり身について来て、人をあざむくのに以前ほどの苦労を必要としなくなっていたからである、と解説してもいいでしょうが、しかし、それよりも、肉亲と他人、故郷と他郷、そこには抜くべからざる演技の难易の差が、どのような天才にとっても、たとい神の子のイエスにとっても、存在しているものなのではないでしょうか。俳优にとって、最も演じにくい场所は、故郷の剧场であって、しかも六亲|眷属《けんぞく》全部そろって坐っている一部屋の中に在っては、いかな名优も演技どころでは无くなるのではないでしょうか。けれども自分は演じて来ました。しかも、それが、かなりの成功を収めたのです。それほどの曲者《くせもの》が、他郷に出て、万が一にも演じ损ねるなどという事は无いわけでした。

自分の人间恐怖は、それは以前にまさるとも劣らぬくらい烈しく胸の底で蠕动《ぜんどう》していましたが、しかし、演技は実にのびのびとして来て、教室にあっては、いつもクラスの者たちを笑わせ、教师も、このクラスは大庭さえいないと、とてもいいクラスなんだが、と言叶では叹じながら、手で口を覆って笑っていました。自分は、あの雷の如き蛮声を张り上げる配属将校をさえ、実に容易に喷き出させる事が出来たのです。

もはや、自分の正体を完全に隠蔽《いんぺい》し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に、自分は実に意外にも背後から突き刺されました。それは、背後から突き刺す男のごたぶんにもれず、クラスで最も贫弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、そうしてたしかに父兄のお古と思われる袖が圣徳太子の袖みたいに长すぎる上衣《うわぎ》を着て、学课は少しも出来ず、教练や体操はいつも见学という白痴に似た生徒でした。自分もさすがに、その生徒にさえ警戒する必要は认めていなかったのでした。

その日、体操の时间に、その生徒(姓はいま记忆していませんが、名は竹一といったかと覚えています)その竹一は、れいに依って见学、自分たちは鉄棒の练习をさせられていました。自分は、わざと出来るだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飞び、そのまま幅飞びのように前方へ飞んでしまって、砂地にドスンと尻饼をつきました。すべて、计画的な失败でした。果して皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上ってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう嗫《ささや》きました。

上海龙凤shlf最新地址「ワザ。ワザ」

自分は震撼《しんかん》しました。ワザと失败したという事を、人もあろうに、竹一に见破られるとは全く思いも挂けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地狱の业火に包まれて燃え上るのを眼前に见るような心地がして、わあっ!と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

それからの日々の、自分の不安と恐怖。

表面は相変らず哀しいお道化を演じて皆を笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しい溜息《ためいき》が出て、何をしたってすべて竹一に木っ叶みじんに见破られていて、そうしてあれは、そのうちにきっと谁かれとなく、それを言いふらして步くに违いないのだ、と考えると、额にじっとり油汗がわいて来て、狂人みたいに妙な眼つきで、あたりをキョロキョロむなしく见廻したりしました。できる事なら、朝、昼、晚、四六时中、竹一の傍《そば》から离れず彼が秘密を口走らないように监视していたい気持でした。そうして、自分が、彼にまつわりついている间に、自分のお道化は、所谓「ワザ」では无くて、ほんものであったというよう思い込ませるようにあらゆる努力を払い、あわよくば、彼と无二の亲友になってしまいたいものだ、もし、その事が皆、不可能なら、もはや、彼の死を祈るより他は无い、とさえ思いつめました。しかし、さすがに、彼を杀そうという気だけは起りませんでした。自分は、これまでの生涯に於《お》いて、人に杀されたいと愿望した事は几度となくありましたが、人を杀したいと思った事は、いちどもありませんでした。それは、おそるべき相手に、かえって幸福を与えるだけの事だと考えていたからです。

上海龙凤shlf最新地址自分は、彼を手なずけるため、まず、顔に伪クリスチャンのような「优しい」媚笑《びしょう》を湛《たた》え、首を三十度くらい左に曲げて、彼の小さい肩を軽く抱き、そうして猫抚《ねこな》で声に似た甘ったるい声で、彼を自分の寄宿している家に游びに来るようしばしば诱いましたが、彼は、いつも、ぼんやりした眼つきをして、黙っていました。しかし、自分は、或る日の放课後、たしか初夏の顷の事でした、夕立ちが白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飞び出そうとして、ふと下駄箱のかげに、竹一がしょんぼり立っているのを见つけ、行こう、伞を贷してあげる、と言い、臆する竹一の手を引っぱって、一绪に夕立ちの中を走り、家に着いて、二人の上衣を小母さんに乾かしてもらうようにたのみ、竹一を二阶の自分の部屋に诱い込むのに成功しました。

上海龙凤shlf最新地址その家には、五十すぎの小母さんと、三十くらいの、眼镜をかけて、病身らしい背の高い姉娘(この娘は、いちどよそへお嫁に行って、それからまた、家へ帰っているひとでした。自分は、このひとを、ここの家のひとたちにならって、アネサと呼んでいました)それと、最近女学校を卒业したばかりらしい、セッちゃんという姉に似ず背が低く丸顔の妹娘と、三人だけの家族で、下の店には、文房具やら运动用具を少々并べていましたが、主な収入は、なくなった主人が建てて残して行った五六栋の长屋の家赁のようでした。

「耳が痛い」

竹一は、立ったままでそう言いました。

「雨に濡れたら、痛くなったよ」

自分が、见てみると、両方の耳が、ひどい耳だれでした。脓《うみ》が、いまにも耳殻の外に流れ出ようとしていました。

「これは、いけない。痛いだろう」

上海龙凤shlf最新地址と自分は大袈裟《おおげさ》におどろいて见せて、

上海龙凤shlf最新地址「雨の中を、引っぱり出したりして、ごめんね」

と女の言叶みたいな言叶を遣って「优しく」谢り、それから、下へ行って绵とアルコールをもらって来て、竹一を自分の膝《ひざ》を枕にして寝かせ、念入りに耳の扫除をしてやりました。竹一も、さすがに、これが伪善の悪计であることには気附かなかったようで、

「お前は、きっと、女に惚《ほ》れられるよ」

と自分の膝枕で寝ながら、无智なお世辞を言ったくらいでした。

上海龙凤shlf最新地址しかしこれは、おそらく、あの竹一も意识しなかったほどの、おそろしい悪魔の予言のようなものだったという事を、自分は後年に到って思い知りました。惚れると言い、惚れられると言い、その言叶はひどく下品で、ふざけて、いかにも、やにさがったものの感じで、どんなに所谓「厳粛」の场であっても、そこへこの言叶が一言でもひょいと顔を出すと、みるみる忧郁の伽蓝《がらん》が崩壊し、ただのっぺらぼうになってしまうような心地がするものですけれども、惚れられるつらさ、などという俗语でなく、爱せられる不安、とでもいう文学语を用いると、あながち忧郁の伽蓝をぶちこわす事にはならないようですから、奇妙なものだと思います。

竹一が、自分に耳だれの脓の仕末をしてもらって、お前は惚れられるという马鹿なお世辞を言い、自分はその时、ただ顔を赤らめて笑って、何も答えませんでしたけれども、しかし、実は、幽《かす》かに思い当るところもあったのでした。でも、「惚れられる」というような野卑な言叶に依って生じるやにさがった雰囲気《ふんいき》に対して、そう言われると、思い当るところもある、などと书くのは、ほとんど落语の若旦那のせりふにさえならぬくらい、おろかしい感懐を示すようなもので、まさか、自分は、そんなふざけた、やにさがった気持で、「思い当るところもあった」わけでは无いのです。

上海龙凤shlf最新地址自分には、人间の女性のほうが、男性よりもさらに数倍难解でした。自分の家族は、女性のほうが男性よりも数が多く、また亲戚にも、女の子がたくさんあり、またれいの「犯罪」の女中などもいまして、自分は幼い时から、女とばかり游んで育ったといっても过言ではないと思っていますが、それは、また、しかし、実に、薄氷を踏む思いで、その女のひとたちと附合って来たのです。ほとんど、まるで见当が、つかないのです。五里雾中で、そうして时たま、虎の尾を踏む失败をして、ひどい痛手を负い、それがまた、男性から受ける笞《むち》とちがって、内出血みたいに极度に不快に内攻して、なかなか治癒《ちゆ》し难い伤でした。

上海龙凤shlf最新地址女は引き寄せて、つっ放す、或いはまた、女は、人のいるところでは自分をさげすみ、邪悭《じゃけん》にし、谁もいなくなると、ひしと抱きしめる、女は死んだように深く眠る、女は眠るために生きているのではないかしら、その他、女に就いてのさまざまの観察を、すでに自分は、幼年时代から得ていたのですが、同じ人类のようでありながら、男とはまた、全く异った生きもののような感じで、そうしてまた、この不可解で油断のならぬ生きものは、奇妙に自分をかまうのでした。「惚れられる」なんていう言叶も、また「好かれる」という言叶も、自分の场合にはちっとも、ふさわしくなく、「かまわれる」とでも言ったほうが、まだしも実状の説明に适しているかも知れません。

女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、调子に乗ってあまりお道化を演じすぎると失败するという事を知っていましたので、必ず适当のところで切り上げるように心挂けていましたが、女は适度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、へとへとになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽をよけいに頬张る事が出来るようです。

上海龙凤shlf最新地址自分が中学时代に世话になったその家の姉娘も、妹娘も、ひまさえあれば、二阶の自分の部屋にやって来て、自分はその度毎に飞び上らんばかりにぎょっとして、そうして、ひたすらおびえ、

「御勉强?」

「いいえ」

と微笑して本を闭じ、

「きょうね、学校でね、コンボウという地理の先生がね」

とするする口から流れ出るものは、心にも无い滑稽噺でした。

「叶ちゃん、眼镜をかけてごらん」

或る晚、妹娘のセッちゃんが、アネサと一绪に自分の部屋へ游びに来て、さんざん自分にお道化を演じさせた扬句の果に、そんな事を言い出しました。

「なぜ?」

上海龙凤shlf最新地址「いいから、かけてごらん。アネサの眼镜を借りなさい」

上海龙凤shlf最新地址いつでも、こんな乱暴な命令口调で言うのでした。道化师は、素直にアネサの眼镜をかけました。とたんに、二人の娘は、笑いころげました。

「そっくり。ロイドに、そっくり」

上海龙凤shlf最新地址当时、ハロルド.ロイドとかいう外国の映画の喜剧役者が、日本で人気がありました。

自分は立って片手を挙げ、

「诸君」

と言い、

「このたび、日本のファンの皆様がたに、……」

上海龙凤shlf最新地址と一场の挨拶を试み、さらに大笑いさせて、それから、ロイドの映画がそのまちの剧场に来るたび毎に见に行って、ひそかに彼の表情などを研究しました。

上海龙凤shlf最新地址また、或る秋の夜、自分が寝ながら本を読んでいると、アネサが鸟のように素早く部屋へはいって来て、いきなり自分の挂蒲団の上に倒れて泣き、

上海龙凤shlf最新地址「叶ちゃんが、あたしを助けてくれるのだわね。そうだわね。こんな家、一绪に出てしまったほうがいいのだわ。助けてね。助けて」

上海龙凤shlf最新地址などと、はげしい事を口走っては、また泣くのでした。けれども、自分には、女から、こんな态度を见せつけられるのは、これが最初ではありませんでしたので、アネサの过激な言叶にも、さして惊かず、かえってその陈腐、无内容に兴が覚めた心地で、そっと蒲団から脱け出し、机の上の柿をむいて、その一きれをアネサに手渡してやりました。すると、アネサは、しゃくり上げながらその柿を食べ、

「何か面白い本が无い?贷してよ」

と言いました。

自分は漱石の「吾辈は猫である」という本を、本棚から选んであげました。

「ごちそうさま」

アネサは、耻ずかしそうに笑って部屋から出て行きましたが、このアネサに限らず、いったい女は、どんな気持で生きているのかを考える事は、自分にとって、蚯蚓《みみず》の思いをさぐるよりも、ややこしく、わずらわしく、薄気味の悪いものに感ぜられていました。ただ、自分は、女があんなに急に泣き出したりした场合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて机嫌を直すという事だけは、幼い时から、自分の経験に依って知っていました。

上海龙凤shlf最新地址また、妹娘のセッちゃんは、その友だちまで自分の部屋に连れて来て、自分がれいに依って公平に皆を笑わせ、友だちが帰ると、セッちゃんは、必ずその友だちの悪口を言うのでした。あのひとは不良少女だから、気をつけるように、ときまって言うのでした。そんなら、わざわざ连れて来なければ、よいのに、おかげで自分の部屋の来客の、ほとんど全部が女、という事になってしまいました。

しかし、それは、竹一のお世辞の「惚れられる」事の実现では未だ决して无かったのでした。つまり、自分は、日本の东北のハロルド.ロイドに过ぎなかったのです。竹一の无智なお世辞が、いまわしい予言として、なまなまと生きて来て、不吉な形貌を呈するようになったのは、更にそれから、数年経った後の事でありました。

上海龙凤shlf最新地址竹一は、また、自分にもう一つ、重大な赠り物をしていました。

「お化けの絵だよ」

上海龙凤shlf最新地址いつか竹一が、自分の二阶へ游びに来た时、ご持参の、一枚の原色版の口絵を得意そうに自分に见せて、そう説明しました。

上海龙凤shlf最新地址おや?と思いました。その瞬间、自分の落ち行く道が决定せられたように、後年に到って、そんな気がしてなりません。自分は、知っていました。それは、ゴッホの例の自画像に过ぎないのを知っていました。自分たちの少年の顷には、日本ではフランスの所谓印象派の画が大流行していて、洋画监赏の第一步を、たいていこのあたりからはじめたもので、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナアルなどというひとの絵は、田舎の中学生でも、たいていその写真版を见て知っていたのでした。自分なども、ゴッホの原色版をかなりたくさん见て、タッチの面白さ、色彩の鲜やかさに兴趣を覚えてはいたのですが、しかし、お化けの絵、だとは、いちども考えた事が无かったのでした。

「では、こんなのは、どうかしら。やっぱり、お化けかしら」

上海龙凤shlf最新地址自分は本棚から、モジリアニの画集を出し、焼けた赤铜のような肌の、れいの裸妇の像を竹一に见せました。

「すげえなあ」

上海龙凤shlf最新地址竹一は眼を丸くして感叹しました。

「地狱の马みたい」

「やっぱり、お化けかね」

「おれも、こんなお化けの絵がかきたいよ」

あまりに人间を恐怖している人たちは、かえって、もっともっと、おそろしい妖怪《ようかい》を确実にこの眼で见たいと愿望するに到る心理、神経质な、ものにおびえ易い人ほど、暴风雨の更に强からん事を祈る心理、ああ、この一群の画家たちは、人间という化け物に伤《いた》めつけられ、おびやかされた扬句の果、ついに幻影を信じ、白昼の自然の中に、ありありと妖怪を见たのだ、しかも彼等は、それを道化などでごまかさず、见えたままの表现に努力したのだ、竹一の言うように、敢然と「お化けの絵」をかいてしまったのだ、ここに将来の自分の、仲间がいる、と自分は、涙が出たほどに兴奋し、

上海龙凤shlf最新地址「仆も画くよ。お化けの絵を画くよ。地狱の马を、画くよ」

と、なぜだか、ひどく声をひそめて、竹一に言ったのでした。

自分は、小学校の顷から、絵はかくのも、见るのも好きでした。けれども、自分のかいた絵は、自分の缀り方ほどには、周囲の评判が、よくありませんでした。自分は、どだい人间の言叶を一向に信用していませんでしたので、缀り方などは、自分にとって、ただお道化の御挨拶みたいなもので、小学校、中学校、と続いて先生たちを狂喜させて来ましたが、しかし、自分では、さっぱり面白くなく、絵だけは、(漫画などは别ですけれども)その対象の表现に、幼い我流ながら、多少の苦心を払っていました。学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし、自分は、全く出鳕目にさまざまの表现法を自分で工夫して试みなければならないのでした。中学校へはいって、自分は油絵の道具も一|揃《そろ》い持っていましたが、しかし、そのタッチの手本を、印象派の画风に求めても、自分の画いたものは、まるで千代纸细工のようにのっぺりして、ものになりそうもありませんでした。けれども自分は、竹一の言叶に依って、自分のそれまでの絵画に対する心构えが、まるで间违っていた事に気が附きました。美しいと感じたものを、そのまま美しく表现しようと努力する甘さ、おろかしさ。マイスターたちは、何でも无いものを、主観に依って美しく创造し、或いは丑いものに呕吐《おうと》をもよおしながらも、それに対する兴味を隠さず、表现のよろこびにひたっている、つまり、人の思惑に少しもたよっていないらしいという、画法のプリミチヴな虎の巻を、竹一から、さずけられて、れいの女の来客たちには隠して、少しずつ、自画像の制作に取りかかってみました。

上海龙凤shlf最新地址自分でも、ぎょっとしたほど、阴惨な絵が出来上りました。しかし、これこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ、おもては阳気に笑い、また人を笑わせているけれども、実は、こんな阴郁な心を自分は持っているのだ、仕方が无い、とひそかに肯定し、けれどもその絵は、竹一以外の人には、さすがに谁にも见せませんでした。自分のお道化の底の阴惨を见破られ、急にケチくさく警戒せられるのもいやでしたし、また、これを自分の正体とも気づかず、やっぱり新趣向のお道化と见なされ、大笑いの种にせられるかも知れぬという悬念もあり、それは何よりもつらい事でしたので、その絵はすぐに押入れの奥深くしまい込みました。

上海龙凤shlf最新地址また、学校の図画の时间にも、自分はあの「お化け式手法」は秘めて、いままでどおりの美しいものを美しく画く式の凡庸なタッチで画いていました。

上海龙凤shlf最新地址自分は竹一にだけは、前から自分の伤み易い神経を平気で见せていましたし、こんどの自画像も安心して竹一に见せ、たいへんほめられ、さらに二枚三枚と、お化けの絵を画きつづけ、竹一からもう一つの、

上海龙凤shlf最新地址「お前は、伟い絵画きになる」

という予言を得たのでした。

惚れられるという予言と、伟い絵画きになるという予言と、この二つの予言を马鹿の竹一に依って额に刻印せられて、やがて、自分は东京へ出て来ました。

自分は、美术学校にはいりたかったのですが、父は、前から自分を高等学校にいれて、末は官吏にするつもりで、自分にもそれを言い渡してあったので、口応え一つ出来ないたちの自分は、ぼんやりそれに従ったのでした。四年から受けて见よ、と言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加减あきていましたし、五年に进级せず、四年修了のままで、东京の高等学校に受験して合格し、すぐに寮生活にはいりましたが、その不洁と粗暴に辟易《へきえき》して、道化どころではなく、医师に肺浸润の诊断书を书いてもらい、寮から出て、上野桜木町の父の别荘に移りました。自分には、団体生活というものが、どうしても出来ません。それにまた、青春の感激だとか、若人の夸りだとかいう言叶は、闻いて寒気がして来て、とても、あの、ハイスクール.スピリットとかいうものには、ついて行けなかったのです。教室も寮も、ゆがめられた性慾の、はきだめみたいな気さえして、自分の完璧《かんぺき》に近いお道化も、そこでは何の役にも立ちませんでした。

上海龙凤shlf最新地址父は议会の无い时は、月に一周间か二周间しかその家に滞在していませんでしたので、父の留守の时は、かなり広いその家に、别荘番の老夫妇と自分と三人だけで、自分は、ちょいちょい学校を休んで、さりとて东京见物などをする気も起らず(自分はとうとう、明治神宫も、楠正成《くすのきまさしげ》の铜像も、泉岳寺の四十七士の墓も见ずに终りそうです)家で一日中、本を読んだり、絵をかいたりしていました。父が上京して来ると、自分は、毎朝そそくさと登校するのでしたが、しかし、本郷千駄木町の洋画家、安田新太郎氏の画塾に行き、三时间も四时间も、デッサンの练习をしている事もあったのです。高等学校の寮から脱けたら、学校の授业に出ても、自分はまるで聴讲生みたいな特别の位置にいるような、それは自分のひがみかも知れなかったのですが、何とも自分自身で白々しい気持がして来て、いっそう学校へ行くのが、おっくうになったのでした。自分には、小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに爱校心というものが理解できずに终りました。校歌などというものも、いちども覚えようとした事がありません。

自分は、やがて画塾で、或る画学生から、酒と烟草と淫売妇《いんばいふ》と质屋と左翼思想とを知らされました。妙な取合せでしたが、しかし、それは事実でした。

上海龙凤shlf最新地址その画学生は、堀木正雄といって、东京の下町に生れ、自分より六つ年长者で、私立の美术学校を卒业して、家にアトリエが无いので、この画塾に通い、洋画の勉强をつづけているのだそうです。

上海龙凤shlf最新地址「五円、贷してくれないか」

お互いただ顔を见知っているだけで、それまで一言も话合った事が无かったのです。自分は、へどもどして五円差し出しました。

「よし、饮もう。おれが、お前におごるんだ。よかチゴじゃのう」

上海龙凤shlf最新地址自分は拒否し切れず、その画塾の近くの、蓬莱《ほうらい》町のカフエに引っぱって行かれたのが、彼との交友のはじまりでした。

上海龙凤shlf最新地址「前から、お前に眼をつけていたんだ。それそれ、そのはにかむような微笑、それが见込みのある芸术家特有の表情なんだ。お近づきのしるしに、乾杯!キヌさん、こいつは美男子だろう?惚れちゃいけないぜ。こいつが塾へ来たおかげで、残念ながらおれは、第二番の美男子という事になった」

堀木は、色が浅黒く端正な顔をしていて、画学生には珍らしく、ちゃんとした脊広《せびろ》を着て、ネクタイの好みも地味で、そうして头髪もポマードをつけてまん中からぺったりとわけていました。

上海龙凤shlf最新地址自分は驯れぬ场所でもあり、ただもうおそろしく、腕を组んだりほどいたりして、それこそ、はにかむような微笑ばかりしていましたが、ビイルを二、三杯饮んでいるうちに、妙に解放せられたような軽さを感じて来たのです。

「仆は、美术学校にはいろうと思っていたんですけど、……」

上海龙凤shlf最新地址「いや、つまらん。あんなところは、つまらん。学校は、つまらん。われらの教师は、自然の中にあり!自然に対するパアトス!」

しかし、自分は、彼の言う事に一向に敬意を感じませんでした。马鹿なひとだ、絵も下手にちがいない、しかし、游ぶのには、いい相手かも知れないと考えました。つまり、自分はその时、生れてはじめて、ほんものの都会の与太者を见たのでした。それは、自分と形は违っていても、やはり、この世の人间の営みから完全に游离してしまって、戸迷いしている点に於いてだけは、たしかに同类なのでした。そうして、彼はそのお道化を意识せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本质的に异色のところでした。

ただ游ぶだけだ、游びの相手として附合っているだけだ、とつねに彼を軽蔑《けいべつ》し、时には彼との交友を耻ずかしくさえ思いながら、彼と连れ立って步いているうちに、结局、自分は、この男にさえ打ち破られました。

しかし、はじめは、この男を好人物、まれに见る好人物とばかり思い込み、さすが人间恐怖の自分も全く油断をして、东京のよい案内者が出来た、くらいに思っていました。自分は、実は、ひとりでは、电车に乗ると车掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の绯《ひ》の绒缎《じゅうたん》が敷かれてある阶段の両侧に并んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている给仕のボーイがおそろしく、殊にも勘定を払う时、ああ、ぎごちない自分の手つき、自分は买い物をしてお金を手渡す时には、吝啬《りんしょく》ゆえでなく、あまりの紧张、あまりの耻ずかしさ、あまりの不安、恐怖に、くらくら目まいして、世界が真暗になり、ほとんど半狂乱の気持になってしまって、値切るどころか、お钓を受け取るのを忘れるばかりでなく、买った品物を持ち帰るのを忘れた事さえ、しばしばあったほどなので、とても、ひとりで东京のまちを步けず、それで仕方なく、一日一ぱい家の中で、ごろごろしていたという内情もあったのでした。

それが、堀木に财布を渡して一绪に步くと、堀木は大いに値切って、しかも游び上手というのか、わずかなお金で最大の効果のあるような支払い振りを発挥し、また、高い円タクは敬远して、电车、バス、ポンポン蒸気など、それぞれ利用し分けて、最短时间で目的地へ着くという手腕をも示し、淫売妇のところから朝帰る途中には、何々という料亭に立ち寄って朝风吕へはいり、汤豆腐で軽くお酒を饮むのが、安い割に、ぜいたくな気分になれるものだと実地教育をしてくれたり、その他、屋台の牛めし焼とりの安価にして滋养に富むものたる事を説き、酔いの早く発するのは、电気ブランの右に出るものはないと保证し、とにかくその勘定に就いては自分に、一つも不安、恐怖を覚えさせた事がありませんでした。

上海龙凤shlf最新地址さらにまた、堀木と附合って救われるのは、堀木が闻き手の思惑などをてんで无视して、その所谓|情热《パトス》の喷出するがままに、(或いは、情热とは、相手の立场を无视する事かも知れませんが)四六时中、くだらないおしゃべりを続け、あの、二人で步いて疲れ、気まずい沈黙におちいる危惧《きく》が、全く无いという事でした。人に接し、あのおそろしい沈黙がその场にあらわれる事を警戒して、もともと口の重い自分が、ここを先途《せんど》と必死のお道化を言って来たものですが、いまこの堀木の马鹿が、意识せずに、そのお道化役をみずからすすんでやってくれているので、自分は、返事もろくにせずに、ただ闻き流し、时折、まさか、などと言って笑っておれば、いいのでした。

酒、烟草、淫売妇、それは皆、人间恐怖を、たとい一时でも、まぎらす事の出来るずいぶんよい手段である事が、やがて自分にもわかって来ました。それらの手段を求めるためには、自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持さえ、抱くようになりました。

上海龙凤shlf最新地址自分には、淫売妇というものが、人间でも、女性でもない、白痴か狂人のように见え、そのふところの中で、自分はかえって全く安心して、ぐっすり眠る事が出来ました。みんな、哀しいくらい、実にみじんも慾というものが无いのでした。そうして、自分に、同类の亲和感とでもいったようなものを覚えるのか、自分は、いつも、その淫売妇たちから、穷屈でない程度の自然の好意を示されました。何の打算も无い好意、押し売りでは无い好意、二度と来ないかも知れぬひとへの好意、自分には、その白痴か狂人の淫売妇たちに、マリヤの円光を现実に见た夜もあったのです。

しかし、自分は、人间への恐怖からのがれ、幽かな一夜の休养を求めるために、そこへ行き、それこそ自分と「同类」の淫売妇たちと游んでいるうちに、いつのまにやら无意识の、或るいまわしい雰囲気を身辺にいつもただよわせるようになった様子で、これは自分にも全く思い设けなかった所谓「おまけの附録」でしたが、次第にその「附録」が、鲜明に表面に浮き上って来て、堀木にそれを指摘せられ、愕然《がくぜん》として、そうして、いやな気が致しました。はたから见て、俗な言い方をすれば、自分は、淫売妇に依って女の修行をして、しかも、最近めっきり腕をあげ、女の修行は、淫売妇に依るのが一ばん厳しく、またそれだけに効果のあがるものだそうで、既に自分には、あの、「女达者」という匂いがつきまとい、女性は、(淫売妇に限らず)本能に依ってそれを嗅ぎ当て寄り添って来る、そのような、卑猥《ひわい》で不名誉な雰囲気を、「おまけの附録」としてもらって、そうしてそのほうが、自分の休养などよりも、ひどく目立ってしまっているらしいのでした。

堀木はそれを半分はお世辞で言ったのでしょうが、しかし、自分にも、重苦しく思い当る事があり、たとえば、吃茶店の女から稚拙な手纸をもらった覚えもあるし、桜木町の家の隣りの将军のはたちくらいの娘が、毎朝、自分の登校の时刻には、用も无さそうなのに、ご自分の家の门を薄化粧して出たりはいったりしていたし、牛肉を食いに行くと、自分が黙っていても、そこの女中が、……また、いつも买いつけの烟草屋の娘から手渡された烟草の箱の中に、……また、歌舞伎を见に行って隣りの席のひとに、……また、深夜の市电で自分が酔って眠っていて、……また、思いがけなく故郷の亲戚の娘から、思いつめたような手纸が来て、……また、谁かわからぬ娘が、自分の留守中にお手制らしい人形を、……自分が极度に消极的なので、いずれも、それっきりの话で、ただ断片、それ以上の进展は一つもありませんでしたが、何か女に梦を见させる雰囲気が、自分のどこかにつきまとっている事は、それは、のろけだの何だのといういい加减な冗谈でなく、否定できないのでありました。自分は、それを堀木ごとき者に指摘せられ、屈辱に似た苦《にが》さを感ずると共に、淫売妇と游ぶ事にも、にわかに兴が覚めました。

堀木は、また、その见栄坊《みえぼう》のモダニティから、(堀木の场合、それ以外の理由は、自分には今もって考えられませんのですが)或る日、自分を共産主义の読书会とかいう(R.Sとかいっていたか、记忆がはっきり致しません)そんな、秘密の研究会に连れて行きました。堀木などという人物にとっては、共産主义の秘密会合も、れいの「东京案内」の一つくらいのものだったのかも知れません。自分は所谓「同志」に绍介せられ、パンフレットを一部买わされ、そうして上座のひどい丑い顔の青年から、マルクス経済学の讲义を受けました。しかし、自分には、それはわかり切っている事のように思われました。それは、そうに违いないだろうけれども、人间の心には、もっとわけのわからない、おそろしいものがある。慾、と言っても、言いたりない、ヴァニティ、と言っても、言いたりない、色と慾、とこう二つ并べても、言いたりない、何だか自分にもわからぬが、人间の世の底に、経済だけでない、へんに怪谈じみたものがあるような気がして、その怪谈におびえ切っている自分には、所谓唯物论を、水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、しかし、それに依って、人间に対する恐怖から解放せられ、青叶に向って眼をひらき、希望のよろこびを感ずるなどという事は出来ないのでした。けれども、自分は、いちども欠席せずに、そのR.S(と言ったかと思いますが、间违っているかも知れません)なるものに出席し、「同志」たちが、いやに一大事の如く、こわばった顔をして、一プラス一は二、というような、ほとんど初等の算术めいた理论の研究にふけっているのが滑稽に见えてたまらず、れいの自分のお道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研究会の穷屈な気配もほぐれ、自分はその会合に无くてかなわぬ人気者という形にさえなって来たようでした。この、単纯そうな人たちは、自分の事を、やはりこの人たちと同じ様に単纯で、そうして、楽天的なおどけ者の「同志」くらいに考えていたかも知れませんが、もし、そうだったら、自分は、この人たちを一から十まで、あざむいていたわけです。自分は、同志では无かったんです。けれども、その会合に、いつも欠かさず出席して、皆にお道化のサーヴィスをして来ました。

上海龙凤shlf最新地址好きだったからなのです。自分には、その人たちが、気にいっていたからなのです。しかし、それは必ずしも、マルクスに依って结ばれた亲爱感では无かったのです。

非合法。自分には、それが幽かに楽しかったのです。むしろ、居心地がよかったのです。世の中の合法というもののほうが、かえっておそろしく、(それには、底知れず强いものが予感せられます)そのからくりが不可解で、とてもその窓の无い、底冷えのする部屋には坐っておられず、外は非合法の海であっても、それに飞び込んで泳いで、やがて死に到るほうが、自分には、いっそ気楽のようでした。

上海龙凤shlf最新地址日荫者《ひかげもの》、という言叶があります。人间の世に於いて、みじめな、败者、悪徳者を指差していう言叶のようですが、自分は、自分を生れた时からの日荫者[#「生れた时からの日荫者」に傍点]のような気がしていて、世间から、あれは日荫者だと指差されている程のひとと逢うと、自分は、必ず、优しい心になるのです。そうして、その自分の「优しい心」は、自身でうっとりするくらい优しい心でした。

また、犯人意识、という言叶もあります。自分は、この人间の世の中に於いて、一生その意识に苦しめられながらも、しかし、それは自分の糟糠《そうこう》の妻の如き好|伴侣《はんりょ》で、そいつと二人きりで侘《わ》びしく游びたわむれているというのも、自分の生きている姿势の一つだったかも知れないし、また、俗に、胫《すね》に伤持つ身、という言叶もあるようですが、その伤は、自分の赤ん坊の时から、自然に片方の胫にあらわれて、长ずるに及んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで、骨にまで达し、夜々の痛苦は千変万化の地狱とは言いながら、しかし、(これは、たいへん奇妙な言い方ですけど)その伤は、次第に自分の血肉よりも[#「血肉よりも」に傍点]亲しくなり、その伤の痛みは、すなわち伤の生きている感情、または爱情の嗫《ささや》きのようにさえ思われる、そんな男にとって、れいの地下运动のグルウプの雰囲気が、へんに安心で、居心地がよく、つまり、その运动の本来の目的よりも、その运动の肌が、自分に合った感じなのでした。堀木の场合は、ただもう阿呆のひやかしで、いちど自分を绍介しにその会合へ行ったきりで、マルキシストは、生産面の研究と同时に、消费面の视察も必要だなどと下手な洒落《しゃれ》を言って、その会合には寄りつかず、とかく自分を、その消费面の视察のほうにばかり诱いたがるのでした。思えば、当时は、さまざまの型のマルキシストがいたものです。堀木のように、虚栄のモダニティから、それを自称する者もあり、また自分のように、ただ非合法の匂いが気にいって、そこに坐り込んでいる者もあり、もしもこれらの実体が、マルキシズムの真の信奉者に见破られたら、堀木も自分も、烈火の如く怒られ、卑劣なる里切者として、たちどころに追い払われた事でしょう。しかし、自分も、また、堀木でさえも、なかなか除名の処分に遭わず、殊にも自分は、その非合法の世界に於いては、合法の绅士たちの世界に於けるよりも、かえってのびのびと、所谓「健康」に振舞う事が出来ましたので、见込みのある「同志」として、喷き出したくなるほど过度に秘密めかした、さまざまの用事をたのまれるほどになったのです。また、事実、自分は、そんな用事をいちども断ったことは无く、平気でなんでも引受け、へんにぎくしゃくして、犬(同志は、ポリスをそう呼んでいました)にあやしまれ不审|讯问《じんもん》などを受けてしくじるような事も无かったし、笑いながら、また、ひとを笑わせながら、そのあぶない(その运动の连中は、一大事の如く紧张し、探侦小説の下手な真似みたいな事までして、极度の警戒を用い、そうして自分にたのむ仕事は、まことに、あっけにとられるくらい、つまらないものでしたが、それでも、彼等は、その用事を、さかんに、あぶながって力んでいるのでした)と、彼等の称する仕事を、とにかく正确にやってのけていました。自分のその当时の気持としては、党员になって捕えられ、たとい终身、刑务所で暮すようになったとしても、平気だったのです。世の中の人间の「実生活」というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地狱で呻《うめ》いているよりは、いっそ牢屋《ろうや》のほうが、楽かも知れないとさえ考えていました。

上海龙凤shlf最新地址父は、桜木町の别荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても、三日も四日も自分と顔を合せる事が无いほどでしたが、しかし、どうにも、父がけむったく、おそろしく、この家を出て、どこか下宿でも、と考えながらもそれを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売払うつもりらしいという事を别荘番の老爷《ろうや》から闻きました。

父の议员の任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあった事に违いありませんが、もうこれきり选挙に出る意志も无い様子で、それに、故郷に一栋、隠居所など建てたりして、东京に未练も无いらしく、たかが、高等学校の一生徒に过ぎない自分のために、邸宅と召使いを提供して置くのも、むだな事だとでも考えたのか、(父の心もまた、世间の人たちの気持ちと同様に、自分にはよくわかりません)とにかく、その家は、间も无く人手にわたり、自分は、本郷森川町の仙游馆という古い下宿の、薄暗い部屋に引越して、そうして、たちまち金に困りました。

上海龙凤shlf最新地址それまで、父から月々、きまった额の小遣いを手渡され、それはもう、二、三日で无くなっても、しかし、烟草も、酒も、チイズも、くだものも、いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、いつでも、近所の店から所谓「ツケ」で求められたし、堀木におそばか天丼などをごちそうしても、父のひいきの町内の店だったら、自分は黙ってその店を出てもかまわなかったのでした。

それが急に、下宿のひとり住いになり、何もかも、月々の定额の送金で间に合わせなければならなくなって、自分は、まごつきました。送金は、やはり、二、三日で消えてしまい、自分は栗然《りつぜん》とし、心细さのために狂うようになり、父、兄、姉などへ交互にお金を頼む电报と、イサイフミの手纸(その手纸に於いて诉えている事情は、ことごとく、お道化の虚构でした。人にものを頼むのに、まず、その人を笑わせるのが上策と考えていたのです)を连発する一方、また、堀木に教えられ、せっせと质屋がよいをはじめ、それでも、いつもお金に不自由をしていました。

所诠、自分には、何の縁故も无い下宿に、ひとりで「生活」して行く能力が无かったのです。自分は、下宿のその部屋に、ひとりでじっとしているのが、おそろしく、いまにも谁かに袭われ、一撃せられるような気がして来て、街に飞び出しては、れいの运动の手伝いをしたり、或いは堀木と一绪に安い酒を饮み廻ったりして、ほとんど学业も、また画の勉强も放弃し、高等学校へ入学して、二年目の十一月、自分より年上の有夫の妇人と情死事件などを起し、自分の身の上は、一変しました。

上海龙凤shlf最新地址学校は欠席するし、学科の勉强も、すこしもしなかったのに、それでも、妙に试験の答案に要领のいいところがあるようで、どうやらそれまでは、故郷の肉亲をあざむき通して来たのですが、しかし、もうそろそろ、出席日数の不足など、学校のほうから内密に故郷の父へ报告が行っているらしく、父の代理として长兄が、いかめしい文章の长い手纸を、自分に寄こすようになっていたのでした。けれども、それよりも、自分の直接の苦痛は、金の无い事と、それから、れいの运动の用事が、とても游び半分の気持では出来ないくらい、はげしく、いそがしくなって来た事でした。中央地区と言ったか、何地区と言ったか、とにかく本郷、小石川、下谷、神田、あの辺の学校全部の、マルクス学生の行动队々长というものに、自分はなっていたのでした。武装|蜂起《ほうき》、と闻き、小さいナイフを买い(いま思えば、それは铅笔をけずるにも足りない、きゃしゃなナイフでした)それを、レンコオトのポケットにいれ、あちこち飞び廻って、所谓《いわゆる》「联络《れんらく》」をつけるのでした。お酒を饮んで、ぐっすり眠りたい、しかし、お金がありません。しかも、P(党の事を、そういう隠语で呼んでいたと记忆していますが、或いは、违っているかも知れません)のほうからは、次々と息をつくひまも无いくらい、用事の依頼がまいります。自分の病弱のからだでは、とても勤まりそうも无くなりました。もともと、非合法の兴味だけから、そのグルウプの手伝いをしていたのですし、こんなに、それこそ冗谈から驹が出たように、いやにいそがしくなって来ると、自分は、ひそかにPのひとたちに、それはお门《かど》ちがいでしょう、あなたたちの直系のものたちにやらせたらどうですか、というようないまいましい感を抱くのを禁ずる事が出来ず、逃げました。逃げて、さすがに、いい気持はせず、死ぬ事にしました。

その顷、自分に特别の好意を寄せている女が、三人いました。ひとりは、自分の下宿している仙游馆の娘でした。この娘は、自分がれいの运动の手伝いでへとへとになって帰り、ごはんも食べずに寝てしまってから、必ず用笺《ようせん》と万年笔を持って自分の部屋にやって来て、

上海龙凤shlf最新地址「ごめんなさい。下では、妹や弟がうるさくて、ゆっくり手纸も书けないのです」

上海龙凤shlf最新地址と言って、何やら自分の机に向って一时间以上も书いているのです。

自分もまた、知らん振りをして寝ておればいいのに、いかにもその娘が何か自分に言ってもらいたげの様子なので、れいの受け身の奉仕の精神を発挥して、実に一言も口をききたくない気持なのだけれども、くたくたに疲れ切っているからだに、ウムと気合いをかけて腹这《はらば》いになり、烟草を吸い、

上海龙凤shlf最新地址「女から来たラヴ.レターで、风吕をわかしてはいった男があるそうですよ」

「あら、いやだ。あなたでしょう?」

「ミルクをわかして饮んだ事はあるんです」

「光栄だわ、饮んでよ」

早くこのひと、帰らねえかなあ、手纸だなんて、见えすいているのに。へへののもへじでも书いているのに违いないんです。

「见せてよ」

上海龙凤shlf最新地址と死んでも见たくない思いでそう言えば、あら、いやよ、あら、いやよ、と言って、そのうれしがる事、ひどくみっともなく、兴が覚めるばかりなのです。そこで自分は、用事でも言いつけてやれ、と思うんです。

「すまないけどね、电车通りの薬屋に行って、カルモチンを买って来てくれない?あんまり疲れすぎて、顔がほてって、かえって眠れないんだ。すまないね。お金は、……」

「いいわよ、お金なんか」

上海龙凤shlf最新地址よろこんで立ちます。用を言いつけるというのは、决して女をしょげさせる事ではなく、かえって女は、男に用事をたのまれると喜ぶものだという事も、自分はちゃんと知っているのでした。

もうひとりは、女子高等师范の文科生の所谓「同志」でした。このひととは、れいの运动の用事で、いやでも毎日、顔を合せなければならなかったのです。打ち合せがすんでからも、その女は、いつまでも自分について步いて、そうして、やたらに自分に、ものを买ってくれるのでした。

「私を本当の姉だと思っていてくれていいわ」

上海龙凤shlf最新地址そのキザに身震いしながら、自分は、

「そのつもりでいるんです」

と、愁《うれ》えを含んだ微笑の表情を作って答えます。とにかく、怒らせては、こわい、何とかして、ごまかさなければならぬ、という思い一つのために、自分はいよいよその丑い、いやな女に奉仕をして、そうして、ものを买ってもらっては、(その买い物は、実に趣味の悪い品ばかりで、自分はたいてい、すぐにそれを、焼きとり屋の亲爷《おやじ》などにやってしまいました)うれしそうな顔をして、冗谈を言っては笑わせ、或る夏の夜、どうしても离れないので、街の暗いところで、そのひとに帰ってもらいたいばかりに、キスをしてやりましたら、あさましく狂乱の如く兴奋し、自动车を呼んで、そのひとたちの运动のために秘密に借りてあるらしいビルの事务所みたいな狭い洋室に连れて行き、朝まで大騒ぎという事になり、とんでもない姉だ、と自分はひそかに苦笑しました。

下宿屋の娘と言い、またこの「同志」と言い、どうしたって毎日、顔を合せなければならぬ具合になっていますので、これまでの、さまざまの女のひとのように、うまく避けられず、つい、ずるずるに、れいの不安の心から、この二人のご机嫌をただ悬命に取り结び、もはや自分は、金缚り同様の形になっていました。

上海龙凤shlf最新地址同じ顷また自分は、银座の或る大カフエの女给から、思いがけぬ恩を受け、たったいちど逢っただけなのに、それでも、その恩にこだわり、やはり身动き出来ないほどの、心配やら、空《そら》おそろしさを感じていたのでした。その顷になると、自分も、敢えて堀木の案内に頼らずとも、ひとりで电车にも乗れるし、また、歌舞伎座にも行けるし、または、絣《かすり》の着物を着て、カフエにだってはいれるくらいの、多少の図々しさを装えるようになっていたのです。心では、相変らず、人间の自信と暴力とを怪しみ、恐れ、悩みながら、うわべだけは、少しずつ、他人と真顔の挨拶、いや、ちがう、自分はやはり败北のお道化の苦しい笑いを伴わずには、挨拶できないたちなのですが、とにかく、无我梦中のへどもどの挨拶でも、どうやら出来るくらいの「伎俩《ぎりょう》」を、れいの运动で走り廻ったおかげ?または、女の?または、酒?けれども、おもに金銭の不自由のおかげで修得しかけていたのです。どこにいても、おそろしく、かえって大カフエでたくさんの酔客または女给、ボーイたちにもまれ、まぎれ込む事が出来たら、自分のこの絶えず追われているような心も落ちつくのではなかろうか、と十円持って、银座のその大カフエに、ひとりではいって、笑いながら相手の女给に、

上海龙凤shlf最新地址「十円しか无いんだからね、そのつもりで」

上海龙凤shlf最新地址と言いました。

「心配要りません」

上海龙凤shlf最新地址どこかに関西の讹《なま》りがありました。そうして、その一言が、奇妙に自分の、震えおののいている心をしずめてくれました。いいえ、お金の心配が要らなくなったからではありません、そのひとの傍にいる事に心配が要らないような気がしたのです。

自分は、お酒を饮みました。そのひとに安心しているので、かえってお道化など演じる気持も起らず、自分の地金《じがね》の无口で阴惨なところを隠さず见せて、黙ってお酒を饮みました。

「こんなの、おすきか?」

女は、さまざまの料理を自分の前に并べました。自分は首を振りました。

上海龙凤shlf最新地址「お酒だけか?うちも饮もう」

上海龙凤shlf最新地址秋の、寒い夜でした。自分は、ツネ子(といったと覚えていますが、记忆が薄れ、たしかではありません。情死の相手の名前をさえ忘れているような自分なのです)に言いつけられたとおりに、银座里の、或る屋台のお鮨《すし》やで、少しもおいしくない鮨を食べながら、(そのひとの名前は忘れても、その时の鮨のまずさだけは、どうした事か、はっきり记忆に残っています。そうして、青大将の顔に似た顔つきの、丸坊主のおやじが、首を振り振り、いかにも上手みたいにごまかしながら鮨を握っている様も、眼前に见るように鲜明に思い出され、後年、电车などで、はて见た顔だ、といろいろ考え、なんだ、あの时の鮨やの亲爷に似ているんだ、と気が附き苦笑した事も再三あったほどでした。あのひとの名前も、また、顔かたちさえ记忆から远ざかっている现在なお、あの鮨やの亲爷の顔だけは絵にかけるほど正确に覚えているとは、よっぽどあの时の鮨がまずく、自分に寒さと苦痛を与えたものと思われます。もともと、自分は、うまい鮨を食わせる店というところに、ひとに连れられて行って食っても、うまいと思った事は、いちどもありませんでした。大き过ぎるのです。亲指くらいの大きさにキチッと握れないものかしら、といつも考えていました)そのひとを、待っていました。

上海龙凤shlf最新地址本所の大工さんの二阶を、そのひとが借りていました。自分は、その二阶で、日顷の自分の阴郁な心を少しもかくさず、ひどい歯痛に袭われてでもいるように、片手で頬をおさえながら、お茶を饮みました。そうして、自分のそんな姿态が、かえって、そのひとには、気にいったようでした。そのひとも、身のまわりに冷たい木枯しが吹いて、落叶だけが舞い狂い、完全に孤立している感じの女でした。

一绪にやすみながらそのひとは、自分より二つ年上であること、故郷は広岛、あたしには主人があるのよ、広岛で床屋さんをしていたの、昨年の春、一绪に东京へ家出して逃げて来たのだけれども、主人は、东京で、まともな仕事をせずそのうちに诈欺罪に问われ、刑务所にいるのよ、あたしは毎日、何やらかやら差し入れしに、刑务所へかよっていたのだけれども、あすから、やめます、などと物语るのでしたが、自分は、どういうものか、女の身の上|噺《ばなし》というものには、少しも兴味を持てないたちで、それは女の语り方の下手なせいか、つまり、话の重点の置き方を间违っているせいなのか、とにかく、自分には、つねに、马耳东风なのでありました。

上海龙凤shlf最新地址侘びしい。

自分には、女の千万言の身の上噺よりも、その一言の呟《つぶや》きのほうに、共感をそそられるに违いないと期待していても、この世の中の女から、ついにいちども自分は、その言叶を闻いた事がないのを、奇怪とも不思议とも感じております。けれども、そのひとは、言叶で「侘びしい」とは言いませんでしたが、无言のひどい侘びしさを、からだの外郭に、一寸くらいの幅の気流みたいに持っていて、そのひとに寄り添うと、こちらのからだもその気流に包まれ、自分の持っている多少トゲトゲした阴郁の気流と程よく溶け合い、「水底の岩に落ち附く枯叶」のように、わが身は、恐怖からも不安からも、离れる事が出来るのでした。

あの白痴の淫売妇たちのふところの中で、安心してぐっすり眠る思いとは、また、全く异って、(だいいち、あのプロステチュウトたちは、阳気でした)その诈欺罪の犯人の妻と过した一夜は、自分にとって、幸福な(こんな大それた言叶を、なんの踌躇《ちゅうちょ》も无く、肯定して使用する事は、自分のこの全手记に於いて、再び无いつもりです)解放せられた夜でした。

しかし、ただ一夜でした。朝、眼が覚めて、はね起き、自分はもとの軽薄な、装えるお道化者になっていました。弱虫は、幸福をさえおそれるものです。绵で怪我をするんです。幸福に伤つけられる事もあるんです。伤つけられないうちに、早く、このまま、わかれたいとあせり、れいのお道化の烟幕を张りめぐらすのでした。

「金の切れめが縁の切れめ、ってのはね、あれはね、解釈が逆なんだ。金が无くなると女にふられるって意味、じゃあ无いんだ。男に金が无くなると、男は、ただおのずから意気|销沈《しょうちん》して、ダメになり、笑う声にも力が无く、そうして、妙にひがんだりなんかしてね、ついには破れかぶれになり、男のほうから女を振る、半狂乱になって振って振って振り抜くという意味なんだね、金沢大辞林という本に依ればね、可哀そうに。仆にも、その気持わかるがね」

上海龙凤shlf最新地址たしか、そんなふうの马鹿げた事を言って、ツネ子を喷き出させたような记忆があります。长居は无用、おそれありと、顔も洗わずに素早く引上げたのですが、その时の自分の、「金の切れめが縁の切れめ」という出鳕目《でたらめ》の放言が、のちに到って、意外のひっかかりを生じたのです。

上海龙凤shlf最新地址それから、ひとつき、自分は、その夜の恩人とは逢いませんでした。别れて、日が経つにつれて、よろこびは薄れ、かりそめの恩を受けた事がかえってそらおそろしく、自分胜手にひどい束缚を感じて来て、あのカフエのお勘定を、あの时、全部ツネ子の负担にさせてしまったという俗事さえ、次第に気になりはじめて、ツネ子もやはり、下宿の娘や、あの女子高等师范と同じく、自分を胁迫するだけの女のように思われ、远く离れていながらも、絶えずツネ子におびえていて、その上に自分は、一绪に休んだ事のある女に、また逢うと、その时にいきなり何か烈火の如く怒られそうな気がしてたまらず、逢うのに颇《すこぶ》るおっくうがる性质でしたので、いよいよ、银座は敬远の形でしたが、しかし、そのおっくうがるという性质は、决して自分の狡猾《こうかつ》さではなく、女性というものは、休んでからの事と、朝、起きてからの事との间に、一つの、尘《ちり》ほどの、つながりをも持たせず、完全の忘却の如く、见事に二つの世界を切断させて生きているという不思议な现象を、まだよく呑みこんでいなかったからなのでした。

十一月の末、自分は、堀木と神田の屋台で安酒を饮み、この悪友は、その屋台を出てからも、さらにどこかで饮もうと主张し、もう自分たちにはお金が无いのに、それでも、饮もう、饮もうよ、とねばるのです。その时、自分は、酔って大胆になっているからでもありましたが、

「よし、そんなら、梦の国に连れて行く。おどろくな、酒池肉林という、……」

「カフエか?」

「そう」

「行こう!」

というような事になって二人、市电に乗り、堀木は、はしゃいで、

上海龙凤shlf最新地址「おれは、今夜は、女に饥え渇いているんだ。女给にキスしてもいいか」

自分は、堀木がそんな酔态を演じる事を、あまり好んでいないのでした。堀木も、それを知っているので、自分にそんな念を押すのでした。

上海龙凤shlf最新地址「いいか。キスするぜ。おれの傍に坐った女给に、きっとキスして见せる。いいか」

「かまわんだろう」

「ありがたい!おれは女に饥え渇いているんだ」

银座四丁目で降りて、その所谓酒池肉林の大カフエに、ツネ子をたのみの纲としてほとんど无一文ではいり、あいているボックスに堀木と向い合って腰をおろしたとたんに、ツネ子ともう一人の女给が走り寄って来て、そのもう一人の女给が自分の傍に、そうしてツネ子は、堀木の傍に、ドサンと腰かけたので、自分は、ハッとしました。ツネ子は、いまにキスされる。

惜しいという気持ではありませんでした。自分には、もともと所有慾というものは薄く、また、たまに幽かに惜しむ気持はあっても、その所有権を敢然と主张し、人と争うほどの気力が无いのでした。のちに、自分は、自分の内縁の妻が犯されるのを、黙って见ていた事さえあったほどなのです。

自分は、人间のいざこざに出来るだけ触りたくないのでした。その涡に巻き込まれるのが、おそろしいのでした。ツネ子と自分とは、一夜だけの间柄です。ツネ子は、自分のものではありません。惜しい、など思い上った慾は、自分に持てる筈はありません。けれども、自分は、ハッとしました。

上海龙凤shlf最新地址自分の眼の前で、堀木の猛烈なキスを受ける、そのツネ子の身の上を、ふびんに思ったからでした。堀木によごされたツネ子は、自分とわかれなければならなくなるだろう、しかも自分にも、ツネ子を引き留める程のポジティヴな热は无い、ああ、もう、これでおしまいなのだ、とツネ子の不幸に一瞬ハッとしたものの、すぐに自分は水のように素直にあきらめ、堀木とツネ子の顔を见较べ、にやにやと笑いました。

しかし、事态は、実に思いがけなく、もっと悪く展开せられました。

上海龙凤shlf最新地址「やめた!」

と堀木は、口をゆがめて言い、

上海龙凤shlf最新地址「さすがのおれも、こんな贫乏くさい女には、……」

闭口し切ったように、腕组みしてツネ子をじろじろ眺め、苦笑するのでした。

「お酒を。お金は无い」

上海龙凤shlf最新地址自分は、小声でツネ子に言いました。それこそ、浴びるほど饮んでみたい気持でした。所谓俗物の眼から见ると、ツネ子は酔汉のキスにも価いしない、ただ、みすぼらしい、贫乏くさい女だったのでした。案外とも、意外とも、自分には霹雳《へきれき》に撃ちくだかれた思いでした。自分は、これまで例の无かったほど、いくらでも、いくらでも、お酒を饮み、ぐらぐら酔って、ツネ子と顔を见合せ、哀《かな》しく微笑《ほほえ》み合い、いかにもそう言われてみると、こいつはへんに疲れて贫乏くさいだけの女だな、と思うと同时に、金の无い者どうしの亲和(贫富の不和は、陈腐のようでも、やはりドラマの永远のテーマの一つだと自分は今では思っていますが)そいつが、その亲和感が、胸に込み上げて来て、ツネ子がいとしく、生れてこの时はじめて、われから积极的に、微弱ながら恋の心の动くのを自覚しました。吐きました。前後不覚になりました。お酒を饮んで、こんなに我を失うほど酔ったのも、その时がはじめてでした。

眼が覚めたら、枕もとにツネ子が坐っていました。本所の大工さんの二阶の部屋に寝ていたのでした。

「金の切れめが縁の切れめ、なんておっしゃって、冗谈かと思うていたら、本気か。来てくれないのだもの。ややこしい切れめやな。うちが、かせいであげても、だめか」

「だめ」

それから、女も休んで、夜明けがた、女の口から「死」という言叶がはじめて出て、女も人间としての営みに疲れ切っていたようでしたし、また、自分も、世の中への恐怖、わずらわしさ、金、れいの运动、女、学业、考えると、とてもこの上こらえて生きて行けそうもなく、そのひとの提案に気軽に同意しました。

けれども、その时にはまだ、実感としての「死のう」という覚悟は、出来ていなかったのです。どこかに「游び」がひそんでいました。

上海龙凤shlf最新地址その日の午前、二人は浅草の六区をさまよっていました。吃茶店にはいり、牛乳を饮みました。

上海龙凤shlf最新地址「あなた、払うて置いて」

上海龙凤shlf最新地址自分は立って、袂《たもと》からがま口を出し、ひらくと、铜銭が三枚、羞耻《しゅうち》よりも凄惨《せいさん》の思いに袭われ、たちまち脳里《のうり》に浮ぶものは、仙游馆の自分の部屋、制服と蒲団だけが残されてあるきりで、あとはもう、质草になりそうなものの一つも无い荒凉たる部屋、他には自分のいま着て步いている絣の着物と、マント、これが自分の现実なのだ、生きて行けない、とはっきり思い知りました。

上海龙凤shlf最新地址自分がまごついているので、女も立って、自分のがま口をのぞいて、

上海龙凤shlf最新地址「あら、たったそれだけ?」

无心の声でしたが、これがまた、じんと骨身にこたえるほどに痛かったのです。はじめて自分が、恋したひとの声だけに、痛かったのです。それだけも、これだけもない、铜銭三枚は、どだいお金でありません。それは、自分が未《いま》だかつて味わった事の无い奇妙な屈辱でした。とても生きておられない屈辱でした。所诠《しょせん》その顷の自分は、まだお金持ちの坊ちゃんという种属から脱し切っていなかったのでしょう。その时、自分は、みずからすすんでも死のうと、実感として[#「実感として」に傍点]决意したのです。

その夜、自分たちは、鎌仓の海に飞び込みました。女は、この帯はお店のお友达から借りている帯やから、と言って、帯をほどき、畳んで岩の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一绪に入水《じゅすい》しました。

女のひとは、死にました。そうして、自分だけ助かりました。

自分が高等学校の生徒ではあり、また父の名にもいくらか、所谓ニュウス.ヴァリュがあったのか、新闻にもかなり大きな问题として取り上げられたようでした。

自分は海辺の病院に収容せられ、故郷から亲戚《しんせき》の者がひとり駈けつけ、さまざまの始末をしてくれて、そうして、くにの父をはじめ一家中が激怒しているから、これっきり生家とは义絶になるかも知れぬ、と自分に申し渡して帰りました。けれども自分は、そんな事より、死んだツネ子が恋いしく、めそめそ泣いてばかりいました。本当に、いままでのひとの中で、あの贫乏くさいツネ子だけを、すきだったのですから。

上海龙凤shlf最新地址下宿の娘から、短歌を五十も书きつらねた长い手纸が来ました。「生きくれよ」というへんな言叶ではじまる短歌ばかり、五十でした。また、自分の病室に、看护妇たちが阳気に笑いながら游びに来て、自分の手をきゅっと握って帰る看护妇もいました。

自分の左肺に故障のあるのを、その病院で発见せられ、これがたいへん自分に好都合な事になり、やがて自分が自杀|幇助《ほうじょ》罪という罪名で病院から警察に连れて行かれましたが、警察では、自分を病人あつかいにしてくれて、特に保护室に収容しました。

深夜、保护室の隣りの宿直室で、寝ずの番をしていた年寄りのお巡《まわ》りが、间のドアをそっとあけ、

「おい!」

と自分に声をかけ、

上海龙凤shlf最新地址「寒いだろう。こっちへ来て、あたれ」

上海龙凤shlf最新地址と言いました。

自分は、わざとしおしおと宿直室にはいって行き、椅子に腰かけて火鉢にあたりました。

「やはり、死んだ女が恋いしいだろう」

「はい」

上海龙凤shlf最新地址ことさらに、消え入るような细い声で返事しました。

上海龙凤shlf最新地址「そこが、やはり人情というものだ」

上海龙凤shlf最新地址彼は次第に、大きく构えて来ました。

「はじめ、女と関系を结んだのは、どこだ」

上海龙凤shlf最新地址ほとんど裁判官の如く、もったいぶって寻ねるのでした。彼は、自分を子供とあなどり、秋の夜のつれづれに、あたかも彼自身が取调べの主任でもあるかのように装い、自分から猥谈《わいだん》めいた述懐を引き出そうという魂胆のようでした。自分は素早くそれを察し、喷き出したいのを怺《こら》えるのに骨を折りました。そんなお巡りの「非公式な讯问」には、いっさい答を拒否してもかまわないのだという事は、自分も知っていましたが、しかし、秋の夜ながに兴を添えるため、自分は、あくまでも神妙に、そのお巡りこそ取调べの主任であって、刑罚の軽重の决定もそのお巡りの思召《おぼしめ》し一つに在るのだ、という事を固く信じて疑わないような所谓诚意をおもてにあらわし、彼の助平の好奇心を、やや満足させる程度のいい加减な「陈述」をするのでした。

上海龙凤shlf最新地址「うん、それでだいたいわかった。何でも正直に答えると、わしらのほうでも、そこは手心を加える」

上海龙凤shlf最新地址「ありがとうございます。よろしくお愿いいたします」

ほとんど入神の演技でした。そうして、自分のためには、何も、一つも、とくにならない力演なのです。

上海龙凤shlf最新地址夜が明けて、自分は署长に呼び出されました。こんどは、本式の取调べなのです。

ドアをあけて、署长室にはいったとたんに、

上海龙凤shlf最新地址「おう、いい男だ。これあ、お前が悪いんじゃない。こんな、いい男に産んだお前のおふくろが悪いんだ」

上海龙凤shlf最新地址色の浅黒い、大学出みたいな感じのまだ若い署长でした。いきなりそう言われて自分は、自分の顔の半面にべったり赤痣《あかあざ》でもあるような、みにくい不具者のような、みじめな気がしました。

この柔道か剣道の选手のような署长の取调べは、実にあっさりしていて、あの深夜の老巡査のひそかな、执拗《しつよう》きわまる好色の「取调べ」とは、云泥の差がありました。讯问がすんで、署长は、検事局に送る书类をしたためながら、

上海龙凤shlf最新地址「からだを丈夫にしなけれゃ、いかんね。血痰《けったん》が出ているようじゃないか」

と言いました。

上海龙凤shlf最新地址その朝、へんに咳《せき》が出て、自分は咳の出るたびに、ハンケチで口を覆っていたのですが、そのハンケチに赤い霰《あられ》が降ったみたいに血がついていたのです。けれども、それは、喉《のど》から出た血ではなく、昨夜、耳の下に出来た小さいおできをいじって、そのおできから出た血なのでした。しかし、自分は、それを言い明さないほうが、便宜な事もあるような気がふっとしたものですから、ただ、

「はい」

上海龙凤shlf最新地址と、伏眼になり、殊胜げに答えて置きました。

上海龙凤shlf最新地址署长は书类を书き终えて、

上海龙凤shlf最新地址「起诉になるかどうか、それは検事殿がきめることだが、お前の身元引受人に、电报か电话で、きょう横浜の検事局に来てもらうように、たのんだほうがいいな。谁か、あるだろう、お前の保护者とか保证人とかいうものが」

上海龙凤shlf最新地址父の东京の别荘に出入りしていた书画|骨董《こっとう》商の渋田という、自分たちと同郷人で、父のたいこ持ちみたいな役も勤めていたずんぐりした独身の四十男が、自分の学校の保证人になっているのを、自分は思い出しました。その男の顔が、殊に眼つきが、ヒラメに似ているというので、父はいつもその男をヒラメと呼び、自分も、そう呼びなれていました。

自分は警察の电话帐を借りて、ヒラメの家の电话番号を捜し、见つかったので、ヒラメに电话して、横浜の検事局に来てくれるように頼みましたら、ヒラメは人が変ったみたいな威张った口调で、それでも、とにかく引受けてくれました。

「おい、その电话机、すぐ消毒したほうがいいぜ。何せ、血痰が出ているんだから」

上海龙凤shlf最新地址自分が、また保护室に引き上げてから、お巡りたちにそう言いつけている署长の大きな声が、保护室に坐っている自分の耳にまで、とどきました。

上海龙凤shlf最新地址お昼すぎ、自分は、细い麻绳で胴を缚られ、それはマントで隠すことを许されましたが、その麻绳の端を若いお巡りが、しっかり握っていて、二人一绪に电车で横浜に向いました。

けれども、自分には少しの不安も无く、あの警察の保护室も、老巡査もなつかしく、呜呼《ああ》、自分はどうしてこうなのでしょう、罪人として缚られると、かえってほっとして、そうしてゆったり落ちついて、その时の追忆を、いま书くに当っても、本当にのびのびした楽しい気持になるのです。

上海龙凤shlf最新地址しかし、その时期のなつかしい[#「なつかしい」に傍点]思い出の中にも、たった一つ、冷汗三斗の、生涯わすれられぬ悲惨なしくじりがあったのです。自分は、検事局の薄暗い一室で、検事の简単な取调べを受けました。検事は四十歳前後の物静かな、(もし自分が美貌だったとしても、それは谓《い》わば邪淫の美貌だったに违いありませんが、その検事の顔は、正しい美貌、とでも言いたいような、聡明な静谧《せいひつ》の気配を持っていました)コセコセしない人柄のようでしたので、自分も全く警戒せず、ぼんやり陈述していたのですが、突然、れいの咳が出て来て、自分は袂からハンケチを出し、ふとその血を见て、この咳もまた何かの役に立つかも知れぬとあさましい駈引きの心を起し、ゴホン、ゴホンと二つばかり、おまけの贋《にせ》の咳を大袈裟《おおげさ》に附け加えて、ハンケチで口を覆ったまま検事の顔をちらと见た、间一髪、

「ほんとうかい?」

ものしずかな微笑でした。冷汗三斗、いいえ、いま思い出しても、きりきり舞いをしたくなります。中学时代に、あの马鹿の竹一から、ワザ、ワザ、と言われて脊中《せなか》を突かれ、地狱に蹴落《けおと》された、その时の思い以上と言っても、决して过言では无い気持です。あれと、これと、二つ、自分の生涯に於ける演技の大失败の记録です。検事のあんな物静かな侮蔑《ぶべつ》に遭うよりは、いっそ自分は十年の刑を言い渡されたほうが、ましだったと思う事さえ、时たまある程なのです。

上海龙凤shlf最新地址自分は起诉犹予になりました。けれども一向にうれしくなく、世にもみじめな気持で、検事局の控室のベンチに腰かけ、引取り人のヒラメが来るのを待っていました。

上海龙凤shlf最新地址背後の高い窓から夕焼けの空が见え、鴎《かもめ》が、「女」という字みたいな形で飞んでいました。

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